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挫折に強い子供に育てる

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育児本には、

自信に満ちた子供を育てる方法は、親が子供の成功とスランプをよく観察して、上手く褒めたり励ましたりすることに尽きます。そうすれば子供は安定した精神状態で、良いも悪いも素直に受け止めることができ、自分で成長していってくれる・・・

と書かれています。

そんなことは分かってます。
でも、そう上手くはいきません。
親だってそこまで出来てるわけじゃないです。

子供はささいなことで挫折感を味わったり、無能感を持ってしまうデリケートな存在だから、出来れば幼い頃に、

最小の努力で達成出来る小さな成功

を体験させてあげたいという、僕なりのバックアッププランを考えています。
たとえ一回だけの小さな成功でもいいのです。
その後の息子の人生を支える経験をあげたい。

僕は小学一年生の終わりにタイのバンコクで暮らし、タイ国日本人学校に通っていました。当時のバンコクは今とは違い、ジャングルのような所でした。大雨が降るとワニが道を泳ぎます。地元の人達がワニを避けながら冠水した道路で食料となる魚をつかまえたり、晴れた日の学校のプールサイドを巨大なオオトカゲが歩いていたり。そういう場所でした。

当時もバンコクは治安の良い場所ではなかったので、僕らのような日本企業社員の子供達は外に出るのもままならず、マンションのプールで遊ぶくらいしかやることがありません。半端じゃなく暑いですし。

そのプールに先生を招いて、水泳教室をやっていたので僕も参加しました。
当時の僕はカナヅチで、顔も水につけることが出来なかったし泣き虫でした。先に習っていた子達に置いていかれるし、イジメられるし、水泳なんて大嫌いでした。

でも、ここで覚えた水泳がその後とても役に立つことになります。

帰国後の僕はどれだけでも泳げる子になっていました。
タイの教室ではどん尻だったのに、帰ってきたら一番です。
バカにされるどころか、羨望のまなざしです。
当時はスイミングスクールなんて誰も行ってなかったので、少し泳げるだけでとても目立ったのです。

泳げる距離によって水泳帽に赤や黒の線を縫いつける習慣があって、僕は最初のテストで最高レベルの“縦黒太線3本”になりました。

縦線は全校でも数人。4年生以下では僕だけなのでとても目立ちます。
水泳の授業では、一人でみんなの前で泳いで“模範”を見せる役です。
市の大会レベルでは敵無し。
なんなく中学3年まで優勝できてしまいました。
だから努力もしてないのに万能感!

一方で現実はとても厳しいのです。

県大会では準優勝止まりの凡選手。
まったくやる気無しのへなちょこで、尻切れトンボで終わりました。

ここで言いたいのは、僕には地元での勝利の経験しか記憶にないということです。この程度の経験でも自信のよりどころになるということです。

僕はオリンピック選手でもなければ、インターハイの選手でもない。たんなる地元という最小単位での覇者で、井の中の蛙にすぎないのです。
ただ、小さな頃に一番だったことが、

「僕は一番だった。だからやれば出来る」 (実際は努力したわけでもないのに)

という自信に繋がっている。過去の小さな栄光にしがみついている、というほど湿っぽいことではなく、前向きなとらえ方をしています。

ここで僕のミクロな自慢話をブチ上げているのには理由があります。

子供に自信をつけるためには、

自他共に認める凄い実績

なんて不要だということです。

親の世代は競争社会で育ったと言われています。だから、

「自分の子供を何かの競争で一番にしよう!」

と必死になってしまいます。その結果が、

「小さいうちから始めれば、きっと芽が出る」
「そしたら、ウチの子供はオリンピック選手にだってなれるかもしれない!!」

なんて、大根おろし(すり減らし)的子育ての発想に繋がっていくのでしょう。

英才教育?
続きゃしません。そんなもの。

結果が出せず、自信もつかず挫折経験だけを子供のうちから植え付けてしまう危険性は五分五分なんてものではありません。

子供の人生を勝手に賭けた、親の独善的なギャンブルです。

僕は、一つで良いから努力しなくても達成感を得られることをさせておきたい。それは将来絶対避けられない、避けてはならない本物の努力のための、いわば前哨戦です。

具体的には、

誰も見向きもしないことで、楽しいことならオッケー!

ただし、たった一人ではちょっと面白くない。それはそれでやらせるとして、子供の健全な対抗心は“面白味”にもつながりますから、競争へも誘導したい。

じゃあ、何をやらせるか?

何かを始めさせるとき、

みんながやってるからやらせよう

と考えるのであれば、成績が出なくても泰然としていられる自信がなければいけません。

一方で、

「体が丈夫になればそれでいいんだよ」

というのも納得できます。
しかし、サッカーのようなチームプレーであれば、自分の子は別という考えは完全な矛盾です。徹底して「勝つことを目指さないチーム」を探すのは難しいでしょう。

我が子だけを流れの外に置いておくのは、相当意志のハッキリした親でなければ無理です。

勝たせることへの誘惑はとても強いのです。
僕は競争心が強い方なので自信ありません。(^_^;)

そんな競争過剰の分野へ子供を突っ込むと、達成感を持てる可能性がとても小さい。スランプに陥った子供との関係を上手く保てなければ、そこで親子関係も危険信号です。

特に、親自身が親から何かを強制されてすり減った経験のない場合は要注意です。

子供の気持ちが分からないので、成績が出せない子供を締め上げることになります。さらに、親の見栄と子供の成果が連結してしまったら最悪です。

周りのみんながやってるから

という選択は、近所の子との競争に敗れたとき、同じ井の中の蛙相手に自信喪失になってしまう可能性もあります。

こんなつまらないことはありません。

もちろん、切磋琢磨できる、精神的に安定した競争相手があるに越したことはないですけど、なかなかいませんし自分の子をそこまで持って行けるかどうか。
やはりとても危ういラインです。

競争させるなら近くの相手より、住む地域の違う競争相手の方が子供にとっては気が楽なのです。なんだか現実味がない相手という感じですから、何かあっても決定的な挫折感がない。僕が県大会で勝てなかった1位のヤツと同じです。(笑)

こういう事に気を遣いながら、子供のうちに努力無しの達成感を体験させてあげれば、将来子供が挫折を感じたときに戻るよりどころが出来ます。

やらせるなら誰もやっていない面白いこと。
ちょっとやれば達成感が味わえること。
親自身の見栄と連結しないこと。

これに限ります。
競争である必要もありません。