ロサンゼルスに住んでいたとき、ある特殊な一族と関わる機会がありました。具体的な呼称は差別表現になるのでできませんが、よく知られたグループです。
人種ではありません。
その一族の伝統は、
親から子へ、盗みと詐欺を伝えていく
それが収入の柱です。
子供が上手にスリができれば、家族全員で褒める。独自の言語のようなサインを持ち、基本的に公共のルールは無視します。今でも世界中で差別されているため、自分たちの仲間とそれ以外とは明確なラインを引いています。
敵対です。
敵対しなければ盗みができません。
共感は禁物です。
一方で、一族内では家族親戚友人が驚くほどの同胞意識で結束しています。
他者の介入を一切許さない強固さです。
良いも悪いも、常識も非常識もありません。
純粋にこれが、この一族の文化です。
基盤となる家庭の大切さを痛感します。
僕は、これほどあからさまな家庭の文化の違いを見たことがありませんでした。
その家庭には小さな子供が4人ほどいましたが、将来その価値観に悩むのか、それともなんの抵抗もなく受け入れ、文化を継承していくのかは分かりません。この一族の場合、他の価値観を完全に遮断しているので、おそらく前者でしょう。
親が伝えるものが、子供が信じるもの。
子育てをしながら感じるのは、親の責任が僕らが子供の頃と比較にならないほど重くなっていることです。
例えば気になるのは歴史と平和の伝え方の問題です。
これから子供に平和を伝えていく上で邪魔になってくるのは、現在日本で流行のようになっている、大きく分けて二つの歴史観の対立だと考えています。
これは簡単には結論が出ないことだし外国もうるさい。子供を二つの史観の中で混乱させてはいけない。僕は両方の歴史観とも立場を異にしているので、どちらに転んでも困る。
だから、我が家の文化の一つとして歴史観も伝えていくことになります。
未来永劫“これ!”という真実の歴史は出てきません。
最後は息子自身の手による探求に頼るしかありませんが、まず僕自身が個人的に安定した基盤を持って、息子に伝えることです。
僕が息子に先入観の種を植えるという大役を負うということです。
異論が出そうですが、子供だけで上も下もない宇宙空間を漂わせるより、間違っていてもどこかに一つの地盤を持っている方が安定します。それは前出の一族内の安定した同胞関係に通じます。
その一方で、親が教え込んだ歴史観に縛られて、他人と対立するようでは平和の意味がどこかへ行ってしまいます。
考え方の違いをどう乗り越えるのかという意識が大切になります。
意識は言葉では教えられません。
両親が意見の食い違いで口論ばかりしている。
他人の意見を受け入れない。
自分の要求ばかり通して、他者へのおもいやりがない。
時には手が出たり、物が飛ぶ。
ケンカしたらしっぱなしで、お互い陰で愚痴っている。
なんてことを“常に”子供に見せている家庭はこれが文化になり、意識になります。
平和を伝える肝はここにあります。
家庭内の紛争をどうやって解決しているか?
自分の目の前の事柄は全て世界の縮図です。
やっぱり親が自分の行動を見直すことです。
と大仰に言ってますが、仲良くするということです。
簡単なことです。(笑)
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