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子供の“ダダこね”の正体

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大人の思う我慢と子供の思う我慢は違います。

例えば、ある家庭では2000円もするものはすぐに買わないけど、200円のガチャポンならいいか、と考える。または、箱に入ったものがオモチャで、ガチャポンはオモチャにカウントしないとか。(笑)

問題は、200円と2000円の差を子供がどう受け止めるのかということ。

僕の考える、子供の“ダダこね”の正体は、

何も持たないでその場を去る不快感の解消

です。これは、物を持って店を出ることを意味します。

つまり、

200円のガチャポンカプセルを手にして店を出ること
2000円の箱を手にして店を出ること

ここには何の差もないということです。共通しているのは子供の苦手な不快感のみ。
この不快感の度合いは値段によって変わりません。

その証拠は、色んなお父さん・お母さんと話をしていて出てくる言葉、

「買ってもらったら満足して、1日も遊ばない。(笑)」

“ダダこね癖”のある子供が買っているのは、大切にする対象としての物ではありません。一時的な不快感を解消する薬としての“物”です。残念ながらこの薬の効き目はかなり弱いです。

すると、子供の行動が見えてきます。

買ってもらったら満足してしまう。
「帰るよ!」というとあわてて、どうでもいいものを欲しがる。
店の中を全て見ないうちに入り口にあるものを、まず欲しがる。

僕は数々の失敗の後に、欲しがる物の大小に関係なく我慢する機会を増やすことにしました。もちろんその我慢の理由への説明もセットです。全く買わないわけでもありません。

次に、買ってやる大人の視点から見てみると、どうなるのか?

2000円だと我慢させるために厳しく叱る。
200円なら、まあイイかと買ってやる。

この背景には、

大人が何を買っているのか?

という側面もありありと見てとれます。

2000円のオモチャは、2000円の出費。これは痛い。だから、我慢させる労力も惜しくない。

一方で、200円のものを我慢させる労力を考えると、時間を買うつもりで200円を払っておけばいい。

大人が買っているのは、このハカリにかけて“軽い”と出たもの。子供の喜ぶ顔を見たいというのは、効率優先している大人のイイワケかもしれません。

子供は、

「これが欲しい」

と思った瞬間から、それを手にせずその場を去る感覚に一種の恐怖感を持ちます。

その恐怖感を越える力が我慢です。我慢(物欲に対しての)とは、

何も持たないでその場を去る不快感の“能動的”解消努力

です。

これだけは、我慢をくりかえさせて鍛えるしか強化の方法はありません。

僕は、一時的に嫌われてでも子供に我慢をさせることには価値があると思います。

この先、子供が大きくなると誘惑は爆発的に増えます。
形や言葉を様々に変えながら、着々と子供達を取りこみます。
その誘惑に子供は一人で立ち向かうことになります。
親がいないところで、満たされない恐怖感に襲われたら子供はどうするのか?
恐怖を克服する力を与えずして、親は子供を社会に出してもいいのか?

子供の幸せを考えると、親の仕事が見えてきます。

そして親の仕事のポイントはここです。
子供に我慢を覚えさせるには、親が物欲にまみれていてはいけません。親自身も我慢を自分に課す必要があるのは言うまでもありません。子供に課すことは自分自身にも課す。自分にできないことは子供に期待すべきではありません。

スタートは自分自身です。

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