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消費者としての子供

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僕が子供の頃は、小学生がファミリーレストランなんかにいたら

不良だ

と言われました。(笑)
でも、これも今や普通のことに。
携帯やってる子と、ゲームやってる子。
大人が食事を持ってきても、顔も上げない子。

他人の存在を意識せず
“客”として“奉仕されて当然”と受け止める

そういう子達にも、未来は等分にやってくるわけです。
ただし、自己啓発の好きな人達の言うところの

未来 = 希望 や 大きな夢

という意味ではなく、

未来 = 大人としての責任 = 含む労働

という“時間が経過したことによる未来”もあるわけです。
いつかは、自分が誰かにサービスを提供して生きていくという状態になるわけです。

人にアタマを下げる

という事を、“卑屈”と捉える意識があるとしたら、社会人として働けないでしょう。

本来、仕事というのは、自分の行った成果を他人に喜んでもらい、そこで等価交換(儲けを含めた)が起きることです。会社に勤めると等価交換はお客さんとの間ではなく、会社に提供した時間と成果で評価されることになりますが、元はその会社の製品やサービスを選んだお客さんが給料の根拠です。

結局は、どんな仕事もサービスの提供なのです。
人と繋がって初めて経済が生まれるわけです。

自分だけ偉そうにしていたい、仕事を立派にこなせるようになるまでの悔しさや大変さを味わいたくないのだとしたら、

仕事できません。(笑)

つまり、経済の仕組みの中に生きていけないということです。
仕事ができるようになるまでの苦労は、勉学が優秀であっても、避けて通れません。天才レベルならひょっとして・・・いや、きっと天才でも苦労はします。

小学生の頃から大人になるまで続けてきた、

奉仕される立場

長年の意識から離れられないのが人の習慣の怖いところです。
社会に出て、“人に奉仕しなければならない”現実に耐えられない場合にできることと言ったら、

逃避とか
親のスネをかじるとか
(そのスネもこの時代では、細すぎて(__;))

それができないなら、

犯罪とか
人を人と思わず搾取しまくるとか

黒い方向に流れていきます。

本当なら人と繋がること、人間関係を円滑に保ちつつお互いの主張をまとめていくことは楽しいことであるはずです。

その能力が完全欠損している子供が増えている

僕は、子供を消費者として成熟させては絶対にいかんと思うのです。

じゃあどうするか?

とりあえず、レストランで食事を持ってきてもらったら、お礼を言ったりお店の人に声をかける、食べ終わったら「ごちそうさま」と言ってレジで話す、というところを見せたいです。

以前、レストランで「ごちそうさま」という事を、

田舎っぺ

と言われたことがあります。
なんだか、洗練されていないのだそうな。

なんでだろうね?

僕は、我が道を行きます。
どっちにしてももともと田舎育ちなので。(笑)

こんな記事もあります。

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