あるラジオを聴いていて、
「フラワーセラピーで大切な人を失った悲しみを乗り越える」
という活動をしている人が出てきました。
関係者には大変申し訳ないのですがコーチングや、こういうセラピーなんかが僕は大嫌いです。
例えば、大切な人を失った悲しみを乗り越えるために、
“やる気の出る花を飾る”
全然ピンと来ません。
色々な心理学の本に、様々な問題を解決するための小手先の知恵が書かれていますが、これもピンと来ません。
本当に乗り越えられない、辛い問題に出くわしたとき、人間は
コツ
程度のものでは何も乗り切ることができません。
先日のニュースで、ネットで出会った見ず知らずの男女が自殺した事件が出てきました。
彼らにどんな問題があったか分かりません。
でも、生き続けて得る苦しみと、死んで全てを無にすること。これらを天秤にかけて、
死
という選択をすることが、当人達にとって一番魅力的だったのだと思います。亡くなった一人はまだ19歳。
これからだったのに・・・
という人がいるかもしれません。でも、彼女は、
これからまだ何十年も苦しまなければならない
と考えたに違いないのです。とても不幸な話です。
多くの人にとって、若さは将来という魅力的なものを全て備えているように見えます。
でも、死を選んだ当人にとっては、ほとんど永遠の苦しみが待っているようにしか思えなかったに違いないのです。若さが憎かったくらいでしょう。
僕自身は、自死というのは逃げだと強く信じています。
問題が発生したら、悩むだろうけど、生きる方向で自分の心を鍛えたり、変える努力をしたいです。
自殺は僕の理解の外にあります。
苦しんだ末にどうしても死を避けられなかった人達の苦しみも僕の理解の外にあります。
本当に深い悩みは、
ナントカセラピーや、前向きに考えよう!という類のポピュラー心理学
程度のことで越えられるほど、かんたんな心ではないと思います。
ナントカセラピーで克服できる程度の悩みは、おそらく時間や他の要素も解決の助けになるものでしょう。前向きに考えるだけで解決できるような悩みは、そもそも悩みと言えないのかもしれません。
本当に苦しんでいる人というのは、悩んでいる間の苦しみ、そして解決のための努力をして普通の自分を取り戻せるまでの苦しみ、その日々を想像して自信をなくしてしまったのかもしれません。
ひょっとしたら、“普通の自分”そのものが
悩みの塊
だったのかもしれません。
生まれてからずっと楽しかったことや、人と信頼関係を築いた経験がなかったとしたら?
このまま生きて何かが変わるのか?と悩んでいたのだとしたら、あまりの苦しみに想像するだけで息苦しくなってきます。
僕も一時期は心理学を志しました。でも、なんだか白けてしまいました。
人の心に立ち入って、その心を修復できる!
と本気で信じている人たちは、
人の心を触るには、幸せな人生を生きすぎている
ように感じます。そんな“幸せな専門家”よりも、本当の苦しみを知っている普通の人の言葉の方が、よっぽど力があるはずです。ただし、そんな人達が持っていないのは、
“資格”
です。皮肉な話です。
とはいえ、占い師なんかは資格が必要ないから、人の心を触る別の手法と言えなくもない。
昔、グッドウィルが旗揚げしたときのパーティーの席にある男性が乱入して、件の社長に、
「あんたみたいな人に、介護が分かるか!」
と叫んだそうです。その男性の言葉はその通り現実になりました。
心の問題も同じかもしれません。
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