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エリート教育が始まる

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アメリカにいたとき、あるプログラマーを通じて13歳の天才ハッカーと呼ばれる子に会ったことがあります。

13歳で大学でネットワークを教えていたそうです。

お父さんが大学で電子工学を教えていたとかで、門前の小僧習わぬ経を読むというやつです。

僕の大好きなマジシャンである、デビッド・カッパーフィールドさん(http://www.dcopperfield.com/)は16歳でニューヨーク大学でマジックを教えていたそうです。

義務教育に飛び入学

という記事が今日の新聞に出ていました。

僕は、基本的にはこの仕組みができることを歓迎しています。勉強なんてのは遅くも早くも自分のペースでやるものであって、学年に束縛されるなんてのは無意味以外の何ものでもありません。

ただし、この仕組みの犠牲者がかなり出るであろうということが予想されるだけに、手放しで喜ぶことができません。

つい数年前まで“ゆとり教育”をやっていた国が、“レース解禁!”とばかり

自分の子をエリートにしたい

という親のエゴを助長してしまうことは目に見えています。
子供にとっては迷惑な話です。

親の思うエリートになる理由って、将来の職業選択でのリードを取りたいという程度なのかな。僕には分からないけど、将来の仕事のために今スタートさせるのだとしたら、子供はいつ子供らしく遊べばいいのか。

生まれてまだ10年も生きていないうちから、意味も分からず勉強で追いまくられる子供達って、

将来の職業のため

に生まれてきたように見えるのは僕だけなんだろうか?
そしてやっぱり気になるのは、他人とのコミュニケーション能力も思いやりもない頭でっかちばかりが増えること。

そもそもエリートってなんだろう?

なんかの資格を取るとエリートになるわけでもないし、どこかに基準があるわけでもない。果たして“養成”出来るモノなのか疑問です。

でも、世の中では必ず基準を打ち出してきます。特に学習塾なんかは、

高校二年生で大学に入ること

を目標にさせたり、詰め込みでそれを実現させることを誇り、またそれらの結果をマーケティングに役立てたいところでしょう。白帯、黒帯と同じですね。達成感を煽り、結果を視覚化することは、商売的には有効ですから。

でも、こんなことで作られた早熟が本当にエリートといえるのか。

僕は子供達に同情的になってしまいます。

急性アルコール中毒で死んでいく人は、体の処理スピードが一定なところへがばがばと酒を注ぎ込み、処理能力を超えて入ってきたアルコールに生命維持を担っている脳の中枢部分を麻痺させられて死に至るわけです。普通は嘔吐することで脳の中枢を停止させないようにするのに、その防衛も追いつかない時に最悪の結果になります。

へんな例えですが、人間でも機械でも処理能力を超えて何かをさせようとした場合、必ず処理障害を引き起こします。もちろん知識の詰め込みすぎや、急に山ほど知識を詰め込んだことで死に至るなんてことはないです。

でも、おそらく小さな子供達の忍耐力はすり減り、迫りくるスランプの波や挫折感で脱落していく犠牲者が必ず出てきます。

前出の13歳のハッカーも、デビッド・カッパーフィールドさんも、なぜこんなことがなしえたかと言えば、

好きだったから(デビッド・カッパーフィールドさん)

だそうです。本人達は特別なことをしていた意識が全くないのです。

だから伸び伸びと知識をつけ、能力を伸ばして行けたのです。
と同時に、周囲がそれを無理に伸ばそうとせず、ただ見守ってたのだと思います。

大人達の勘違いと、エゴのため擦り切らされていく子供達が増えないといいです。

僕の話しているのは、ひょっとすると

天才
秀才

の違いなのかもしれないですけどね。
前出の2人は明らかに天才ですから。

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