Home » 「感動」って教育できる?

「感動」って教育できる?

 | 

ヒトって、イカれたものが大好きです。
普通の物より、

「こんなの考えたヤツって、絶対あたまおかしいぞ!」

と思えるようなものに魅力を感じるのです。

例えば、僕の住んでいる所から比較的近いところでは

・ 奈良の大仏
・ 清水寺
・ 金閣寺

どれをとってもマトモな頭の人が作ったとは思えない。外国にはもっと凄い物がある。

・ ギザの大ピラミッド
・ 万里の長城
・ ナスカの地上絵
・ ストーンヘンジ

どれもイカれてて魅力的。死ぬまでに一度は見てみたい。
人造のものではないけれど、

・ 鍾乳洞

ここには、“五劫のすりきれ”とでもいうべき気の遠くなる造形の魅力があります。それから、僕が地球上で一番興味がある場所は、

・ ポンペイ遺跡

僕はイカれたものの中でも、特に重機のない時代につくられた物が好きなようです。色んな想像を抑えられない。

「作業者達はどんな生活をしてたのか?」
「怪我をしたり死んだ人達はどんな風に扱われていたのか?」
「出来上がったときはどんな気持ちだったのか?」
「流行語なんかもあったのか?」

今は親になったので、自分が楽しみたいというより息子に見せたい。

でも、いつ見せるのが一番いいタイミングなんでしょう?

感動は一発勝負です。
どかんと衝撃を与える。
一生モノの体験をたくさんさせてあげたい。

大仏の隣に住んでいたら感動はないはず。とはいえ、その魅力的にイカれた発想に毎日触れていればその子の人格に悪い影響があるとは思えない。スケール感覚がないというのは、きっと面白い子になると思う。

息子の周りにはそんな魅力的なものがない。だからこそ、あえてタイミングを計って将来いろいろな物を見せて衝撃を受けてほしいです。

あまり小さなうちに子供をいろいろなところに連れていき、証拠写真を撮って

親の“やりました・行きましたチェックリスト”

から行った場所を横線で消して、

「つぎ、どこ行こう?」

とスタンプラリーのような旅行ではつまらない。大きくなってから証拠写真を見せて、

「S君はここに行ったことあるんだよ。 (パパ達が連れていってやったのだ。( ̄^ ̄))」

といっても、息子にとってあまり意味はない。

その場所のスケール感を伝えたいのであれば、息子が“普通の物”の感覚がしっかりついてから奈良の大仏を見せたいし、物をつくる大変さの感覚が分かってから清水寺に連れていきたいです。

そこではじめて、

「なんじゃこりゃ?!」

という感覚に打ちのめされて衝撃的な体験になるような気がする

見たことがあるかないか、行ったことがあるかないかではなくて、その時どう感じたかが大切。

「感動」って、タイミングで大きくも小さくもなるものだから、最大の演出をしたいです。

と考えると、僕が小学校の修学旅行で行った奈良京都はちょっと遅かったかも。

こんな記事もあります。

ワガママ言っても我慢した時 on March 13th, 2008

デリカシーが足りない on July 22nd, 2007

子どもの判断力 続き on September 16th, 2008

昔と今の寒さ on December 5th, 2007

子どもの外遊び離れ on September 10th, 2008