極論的な話です。
つっこみどころ満載だと思うんですが要点を増幅するための一手法だと思ってください。
今朝の新聞の投稿欄に、
「価値観が多様化した現代、女性のかくあるべき姿などと誰かの価値観で決めつけるな。子供を持たないと決めた意志をねじ曲げ、その人の生き方を邪魔する権利は誰にもない(要約)」
という事をいっている二十歳の女性の意見が載っていました。この考え方が広まる危険性について考えています。
僕の個人的な女性と子供を産むことの関係についての意見は前に言った通りですが、この頃、多様化という言葉が暴力的に使われているのを懸念しています。
もはや“多様性至上主義”は、環境破壊と同じくらい危ない思想になってきています。多様化を否定しているのではありません、念のため。
多様性を喜んで持ち出してくる方は、
「今は一人一人を重んずる時代」
という言葉が好きです。とても甘い香りがします。
これを否定してはいけない雰囲気が漂います。
でも、僕の耳には人類の700万年連綿と続いてきたこの歴史が、
「私の価値観」
のために終わっても仕方がないといっているように聞こえます。
人類の歴史を終わらせようと思ったら、即時実現できる核戦争による破壊、これは地球の歴史も終わります。そして真綿で首を絞めるように効く環境破壊がある。そして、後者に近いのが
「ヒトをこれ以上増やさないようにする」
という方法。確実に人類の息の根を止める、第3の手段です。
これが一部の“多様性至上主義”の人達が行っている破壊活動です。子供ができなくて悩んでいる方々の活動がどれほど社会の役に立ち貴重なことなのかは前に書きましたからここでは言いません。考えてみてほしいのは、その能力があるのに
「私の価値観」
を優先している場合です。
どうせ遅かれ早かれ消えてしまう人類です。この際、
環境保護
も無意味でしょう。環境だけ良くして人がいなくなっても意味ありません。
あ、人がいなくなれば環境は良くなるのか・・・。(^_^;)
・・・まあ、それはおいといて。
なんでこんな面倒くさいことをしなければならない?
リサイクルなんてやめても大丈夫。
これからの季節、クーラーがんがんかけてもいいです。気持ちイイですから。
アイドリングもしっぱなしで、クルマの中で昼寝しましょう。
ゴミもクルマの窓からポイ捨てでいいじゃないですか。
もう、他人の迷惑なんて考えるのやめましょう。
でも、“それらをやらないことも自分の価値観”というのなら、それはエンターテイメントとしての環境保護や“徳の追求”のようです。そうなると、人類の歴史を止める方向の個人尊重を唱える人が、
ロハス
といっていたら、それはまさに、
「自分が死ぬまでは楽しめればいい。しかも少しでも楽しさを持続させたい」
といっているように聞こえてきます。
人類は、今の時代に生きる僕らの“価値観”や、“自分の生き方追求”のためだけに、努力をして、議論をして、多くの命を消耗して戦争をし、血や涙や汗をながしてきたわけではありません。
人がなぜ生きるのか?
という問いにも700万年経った今も明確な答えはありません。少なくとも“自分の価値観を最優先させるため”などという簡単な答えではないからでしょう。
誰かの生き方を邪魔する“権利”は誰にもありません。
それに異論はありません。
一方で、人類の歴史を止める決定をする“権利”も誰にもないということも正しい。
人類の歴史の中では、自分の価値観が後にくる場合もあるのです。
その制限の中で、全ての人は自由なのです。
その制限の範囲はどこにも書かれていません。
ヒトとして感じとることです。
【 誤解があるといけないので脚注です 】
自分の人生を楽しむなとか、多様性を否定しているとか、個人が重要ではないとか、そういうことを言っているわけではありません。僕だって自分の人生を楽しんでいます。ストイックな生き方を他人に押しつけるつもりも一切ありません。こういう文章に触れると夜も眠れない人が出てくるといけないので、念のため。
女性は産む機械という暴言は馬鹿馬鹿しいですが、男は“種馬”とか言われても平気なのは出産のような肉体的苦痛がないからなのでしょう。だからこそ男はもっと強くならなければならないと思うのですが、最近はあんまり強いのも女性が嫌うそうで。そのあたり、別の危険思想かもしれません。
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