リビングで新聞を読んでいたら、突然息子に聞かれました。
「パパはどうやって英語とスペイン語を勉強したの?」
僕は息子がこの質問を自発的にしてきた時のため、常に一つの答えを準備していました。
「パパはね、練習、練習、練習。毎日練習してるんだよ」
すると、息子はふ?んと言ってどこかへ行ってしまいました。棚をごそごそしている音がしてたけど、新聞読み続けていたら、背後からハーモニカの音がし始めました。
時々間違えながら、ドレミファソラシドを一生懸命やっています。すると、
「○○先生がね、ハーモニカをおうちで練習しなさいっていうから」
僕はこれを狙っていましたが、息子に伝わって良かったと思いました。
とっても嬉しい言葉です。
子供は親の背を見て育つと言いますが、高度成長期時代の親達が間違えていたのは、仕事に出て行く時の、
「行ってきます」
という背中を見せるだけに終始してしまったところだと思います。外で何をしているか、子供は知ったこっちゃありません。家で何をしているのか、がとても大切だと思います。
僕はできる限り息子の前で、スペイン語か英語かフランス語の本をブツブツと音読しながらノートに単語を書き留める等、自分の勉強をしている姿を見せることにしています。
僕がそうしていると、たいてい自分の棚からお絵かき道具一式を引っ張り出してきて、僕の隣でお絵かきを始めます。色々な言葉で、びっしりと走り書きをされた僕のノートを興味深そうに見ているので、ここぞとばかり一生懸命のフリをしてやります。
大人になるとテレビばかり見て、子供には、
「オマエはテレビなんか見てないで、勉強しろっ!」
という親がありますが、それは違います。
子供に親自身が何か努力している姿を見せることで、生きることは自動的に成されていることではないのだと感じさせることができます。
「大学にはいったら遊びまくる!」
そんな事を言い出す子が多いですが、それはそれ以前に親や周囲からすり減らされて消耗してしまった子供達だと思います。
例えて言えば、無気力な子供達は大根おろしでおろされる大根。
受動的で、引き算の生き方。
気力のある子達は、アメーバのように自分から増えていく存在。
能動的で、足し算の生き方。
素晴らしいことに、足し算の生き方には限界がないのです。どこからともなくわき出てきて、ドンドン増えていく。図書館に行けば、栄養もタダというありがたさ。脳という入れ物は、立派な思想家が一生かかって考えた思考でも、悠々と収めてしまう余りある広い空間です。
僕は、子供が足し算式に生きていけるように導くのが親の仕事だと考えています。
親の都合で大根にされてしまった子供はかわいそうです。
死んだセミを埋める on July 16th, 2008
まだ肩車はうれしいみたいだ on April 21st, 2008
団らん on April 5th, 2010
息子のヒーロー on December 27th, 2008
関わる時間 on October 12th, 2009