おそらく、マナーを知らなくても人間って生きていけます。
別に、電車で席を譲らなくても、タバコをどこで吸っても、レジで割り込みしても、それが生きていくのに支障になることなんてないです。
先日、クルマを運転していたら、信号の無い横断歩道を小学生の女の子が犬を連れて渡っていきました。
ところが、電話をしながら歩いているらしく、道の真ん中で止まるくらいのスピードになって
ブラブラ
しているのです。
あまりに腹が立ったので、ホーンを鳴らしたところ、
「なんなのうるさいなぁ」
という目でにらまれてしまいました。
確かに横断歩道で僕は待つ必要があるんだけど、同時に渡る方も速やかに渡るべきなんです。
それは子どもだろうが大人だろうが関係ない。
僕に迷惑をかけないためじゃないんです。
自分の身を守るため。
ただ、それだけの理由です。
車道上に居ない方が安全なのは言わずもがなです。
「歩行者優先なんだから、待ってればいいでしょ」
というのは違います。
優先というのは、お互いにお互いの存在を確認しあったときだけに有効な状態であって、見ても居ないドライバーに優先もクソもないです。
ぶつかる。
ただそれだけのことです。
なので、電話なんか与える前、親が手を引いて歩いている年齢の頃から、路上のルールとマナーについて教えておくべきなんです。
「治安が悪いから携帯を持たせる」
バカなことを言ってはいけません。
変質者からの被害にあう確率か、電話に夢中になって路上で立ち止まってクルマにひかれる危険。
どっちの確率が大きいでしょうか。
他人を信用できないから電話を持たせているような親が、ドライバーなら信用してしまうという理屈は全く理にかなっていません。
電話を持たせるも持たせないも親の考え方
それはオッケーです。
でも、そんなに安全が大事なら、もっと簡単な所から教えるべきです。
他人に不愉快な態度をとって、それに怒った相手から暴力を受けることだってあります。
暴力を使う方が卑怯なのは言わずもがなですが、
余計なタネをまくような態度をしている自分の子ども
にも、親として教えてあげられたことはあったはずです。
他人の善意に甘えるくせに、他人を信用しない、そういう無意識が子どもへの躾けに出てきているような気がします。