ある単発の仕事への募集をしたら、外国人からどどっと申込みをいただきました。
僕は外国人コンプレックスは全否定して、日本人はこれを克服しなければならないと強く主張しているのですが、やはり外国人は自己PRが上手い。
こちらの仕事依頼の意図を瞬時に理解して、自分の経歴からその仕事に有益な技能や経験を列記してくれます。どの人を見てもとても魅力的に感じるし、電話で話しても「すすっ」とこっちの記憶の中に残ることを言う。
「この人落としたら申し訳ないなぁ」
とか、
「おおっ、好感度高い。この人に決めちゃおうか」
という気持が頭をよぎります。とはいえ、仕事とあらばそんな軽々しく決めてはいられないので、候補が出そろうまで保留です。迅速さは大切ですけど。
僕は20代の半ばに長編映画を監督しました。その時、役者の募集をかけました。一週間ほどで数百人の応募があり、その中から数十人を選び出しオーディションを行うわけです。それこそ、メールボックスに入らないので、上に積んであるという状態。
その時、外国人の自己PRの強力さ、巧さに圧倒されました。
UNTAMEDのDIVE LA 制作の時も同様ですが、アメリカでは制作側が提示するプロジェクトにあっという間に数百人が手をあげる。(DIVE LAは条件が厳しかったので150人強程度でしたが)
その中で印象に残ろう、最終的に選ばれたいと思うのだとしたら、
・ こちらが求めているものが提供出来ること
・ 提供する自分に商的価値があること (お客様にとって魅力的であること)
・ 一緒に働きやすい性格であること
・ 真面目で根気があること
まず、そういう素質を持っていなければなりません。
次に、それらをどうこちらに伝えるか。これは、習ってどうにかなるものではないようです。
でも、それを外国人は軽々クリアしてくる人が多い。普通の人でもそうなのです。俳優志望だったら、もっと凄い。疑問は、どうしてこんなに軽々クリアしてくるの?ということなのですが、ある意味当然なのです。
自分の人生に対する姿勢そのもの
これを見せるだけです。
良い役者には、“自分は、こんなイメージで売れたい”というビジョンがあります。それ以外でたまたま売れてしまった時は悲劇です。自分がなりたくない人間として生きていかなければならないのです。
だから、間違ったイメージを持たれないよう、
私はこういう人間だ!
ということを全面的に押し出してくる。過剰にかっこつけないから、自然体のまま。ぼろが出ることがないから、伸び伸び自由に表現しているという感じ。
自己主張というとなぜかワガママの“自己中心的”とダブってしまう日本と比較すると、外国人の自己PRは生き方への強い主張そのものに見える。
日本ほどに安定した社会ではないし、国は豊かでも個人は必死という国。その危機感をそれぞれの人がよく知っています。
日本はこれからとても大変な時代になると言われています。
そういう時代に生きていくためには、自分がどういう人間なのかをよく知っておかなければ。
子供にも教えたいことがいっぱいです。
フランス語しかダメです on January 21st, 2008
スペイン語、イタリア語の話 on November 18th, 2007
La Tigre e La Neve on October 31st, 2008
日本の文化? on July 27th, 2009
語学でチョコレートの歴史をたどる on June 9th, 2008