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ワイルドは褒め言葉ではない

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ボクシングの若い選手や、20歳そこそこの女優の“態度”が相次いで問題になっています。

彼らの態度を一言で言うなら、

ワイルド

という感じでしょうか。

僕はワイルドという生き方に共感するところは全くありません。

ただのワガママや、自分を変えることができない弱さを自分のスタイルだと主張することは間違っています。

人類学的にいうと、力で相手を圧倒しようという考え方は、とても原始的で野蛮であり、高度な人間的行動とはいえないそうです。今のような複雑な社会を例に取れば、周囲との調整能力のない人間が、最終的な手段として頼るのが、

なのだそうです。

その力があるかのように振る舞うこと

力を行使しなくても、得ようとしている効果は同じですから、これも同等です。

映画を志した者として、その映画を見る観客の動向が気になります。映画の観客は、比較的

悪者

の真似をする傾向があります。
例えばギャング対警察の映画だとすれば、強面の男を引き連れて肩をいからせて道の真ん中を歩くヤツを真似したがったり、薄暗い部屋で黒っぽい服にサングラスをかけ両隣に品のない女性を侍らせているヤツに憧れたりするのです。

あたかもそれが力の象徴であるかのようにです。

スーツを着て靴をすり減らして犯人を追いつめる正義の真似をする人は希です。

映画の中では善人が勝ちますが、現実の世界は善人が勝つことばかりではありません。
映画を見て善人に声援を送りつつ、映画館の外では悪人の真似をしたがる傾向は、この現実に希望を失っている姿ととることもできます。

社会がワイルド化し、虚勢の張り合いばかりになったら?

相手を罵倒した末に完敗し、堂々と間違いを認めない
清廉なイメージの映画に出演して、実際はその逆の性格だった

これほど空しいものはないです。

街を歩いていても、道を譲ったり、人を助けたりということが“かっこわるい”とばかり悪人の猿まねをしている者が多い。

常に怒っているような顔をして、人を寄せ付けないタイプの人がいます。
以前あるインタビューで、誰かがその人の心の状態をこんな風に説明していました。

「私は、あなたを否定します。あなたが私を否定する前に」

付き合っている女性にフラれそうな雰囲気を察知して、自分からフる卑屈な男を思い浮かべます。

全ては、自分を守るため
自分だけは嫌な思いをしたくない。

だから、ワイルドという殻の中に逃げるのです。

僕が目指しているのは、UNTAMED(アンテイムド)です。

誰に媚びるわけでもない、誰に束縛されているわけでもない。
UNTAMEDに生きようと思えば、問題も含め自分に降りかかる全てのことに積極的に、解決されるまでぶつかっていかなければなりません。

それはワイルドな人には絶対にできない生き方だと思っています。

ボクシングの亀田兄選手が良いことを言っていました。

「(堂々たる振る舞いは)今の日本人にはなくていい。日本人は硬い」

確かにその通りです。
当社が否定している、

外国人に仲良くしていただくための英会話

というものにも繋がるのですが、亀田兄選手の言うとおり日本人はもっと堂々とすべきです。

ただし、

堂々としている
虚勢を張っている

のは明らかに違います。
ここを勘違いしてしまったことから、最近の若い有名人の問題がおきたのでしょう。

堂々としましょう。
これからの日本人は、アンテイムドになる必要があります。

もう一つ付け足し。

ワイルドの弱点は、コントロールができないところです。

こんな記事もあります。

怒るところを間違ってる on December 26th, 2009

映画: 不都合な真実 on May 21st, 2008

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