我が家には1年半程前まで犬がいました。
13歳のペキニーズ(雄)でした。
名前は「くる」。
僕らがアメリカで生活を始めてすぐから、ずっと苦楽を共にしてきた犬です。
犬というのは他人に話すときにいうだけで、僕の中では相棒です。
ある日突然体調をくずし、そのまま逝ってしまいました。
虫の息のくるを抱きしめて病院に向かう車の中、途中で最後に肺に残っていた残留呼気が抜けていく姿が目に焼き付いています。
まだ僕は彼の死について冷静に書ける気分ではないので詳しくは言えません。
昨夜は遅くまで仕事をしていたため、今朝は家族より20分ほど遅れて眼が醒めました。というのも、朝っぱらからそっぴくんが大泣きしていたのです。
目をこすりながらダイニングまで降りていくと、やけに激しく泣いています。妻に、
「どうしたの?」
と聞くと、
「かわいそうな夢を見たんだって」
というのです。どんな夢だったのか聞いてみようとすると、そっぴくんは、
「そっぴくんおもいだしたくないから、きかないで!」
仕方がないので、後で聞きました。
夢の中では、くるはまだ子犬だったそうです。
その子犬を悪い奴らがいじめていたというのです。
そっぴくんがくると過ごしたのは、4年くらいです。そっぴくんが生まれて、当時住んでいた家に初めて来た日から犬がいました。
以来、とても仲良しで、そっぴくんが寝ているとかならず添い寝をするほどくるはそっぴくんが大好きでした。
だから、そっぴくんにとってもとても大切な存在になり、逝ってしまってから一年以上経った今でも、時折
「くるにあいたいよぅ!」
と泣くときがあります。
僕としてはそんな感情を持ってくれることは嬉しいことです。
でも、当のくるがいないのは本当に寂しいです。
実は、今朝僕は起きる寸前に素晴らしく幸せな夢をみていたのです。
僕は夢の中に立っていました。
すると、足下にとっても懐かしいフサフサした気配を感じたのです。
見下ろすと元気なくるがいました。
生きているときはめったに尻尾を振らない犬でしたが、夢の中ではちぎれそうに尻尾を振って、年老いて白く濁っていたはずの目は、キラキラと輝いていました。
僕はすぐに屈んで、脇に手を入れて抱きしめました。
とても毛皮が分厚くて、最後に抱いたときより少し太ったようでした。
僕は、
「おまえ、ちょっと太ったなぁ!」
と頬にくるの毛皮の感触をとどめておこうとばかり頬ずりをしました。
あたまの片隅で、夢だと分かっていました。
意識すると目が醒めてしまいそうで、どこかとても不安定な切ない幸せという感じでした。
目覚めたのはそっぴくんの泣き声です。
僕とは対照的な夢を見ての泣き声。
僕の楽しい夢を話してやったら気が紛れるかと思って話し始めると、
「そっぴくんがあんなにかわいそうなゆめだったのにぃ!!!」
と逆に叱られてしまいました。
時間は少々遅れ気味でしたが、そっぴくんを膝にのせしっかり抱きしめてやりました。しばらく嗚咽していましたが、気持ちが落ち着いて流れた涙を僕の服で拭き始めました。
これが、そっぴくんの満足の合図です。
人の服に鼻水をつけたり、涙を拭いたりが始まれば心が落ち着いた合図なのです。(笑)
ペットロスで苦しむ人は多いです。
我が家では1年以上経った今でもまだ癒されません。
癒されることは忘れることなのだとしたら、癒されない方が良いのかもしれません。
家中に引き延ばした写真を飾り、くるの遺骨が入ったカロートペンダントを身につけているのだから、忘れるはずはないのですけどね。
なんだか切ない朝でした。
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